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 楽しいお話しも沢山載せていきたいと思うこのコーナーですが、はぐくみ塾に来る子どもたちも保護者の方達も、時には「うちの子にはどうして?」「僕は何で?」と言う、とても不思議な事によく出会います。「どうしてなんだろう」「何故なんだろう」と言う疑問符がはぐくみ塾の待合室では時々話題になります。

 そんな中で、親子がたくましくなっていく姿を見せていただき、私たちの喜びになっています。

◇ ◆ ◇


「たくさんの有り難う」 (2007.05.28)

  3月31日 夜6時に、はぐくみ塾最後の授業を終了しました。
  2年前に閉塾を決めて保護者の方にお手紙を出してから、月日は足早に過ぎていきました。
 この2年間、皆さんに「敏子さん忙しいのね」と感じさせ、じっくりお付き合いができなくなったことを本当に申し訳なく思っていました。

 はぐくみ塾は、団らんの場でもあり、井戸端会議の場でもありましたね。
 中には、「かけ込み寺です」というお母さんもいました。
 小さな待合室は大人が3人もいたらぎゅうぎゅうで、そこに敏子が加わると車座状態…。
 プレハブワンボックス仕立ての、板一枚で仕切られている教室で、隣からの声も筒抜け状態…それでも子どもたちは一生懸命自分の課題に取り組んでくれました。

 幼児期は純粋に感情を表現し、泣いたり怒ったり走り回って、机の下に潜っていた子どもたちも、いつのまにやらしっかり着席して、文字を書き計算するようになりました。
 小学生のころに、パズルのピースを全部かじりまくった彼は、今高校を卒業し社会人としての一歩を歩き始めました。
 お話ができない子は筆談の援助を受けながらコミュニケーションがとれるようになりました。
 5分の着席ができなかった彼は、50分をずっと学習に集中する子になりました。
 泣き始めるといつまでも泣き続けていた彼女は、気持の切り替えを上手にコントロールできるようになりました。
  3年かかって、かけ算ができるようになった子がいます。
 「学校の授業は寝ています。」と3年間言い続けた中学生は、塾を一度も休まず自転車で通い続けました。今は二人の子どもを持つ立派なお父さんです。

  本当に本当にどの子も頑張りやさんです。
 はぐくみ塾を自分の居場所にして
 僕は僕だと信じ
 私はこれで良いと胸を張る
 本来の素敵な自分に出会いながら
 見上げるほど大きく成長してくれました。
 はぐくみ塾はそんな君たち、あなたたちが誇りです。

 あなた方と会って
 一緒に泣くことができた
 一緒に悩んで解決策を探った
 一緒に腹を立てて怒ることができた
 だから毎日がとても楽しかった
 すごくすごく楽しかったよ

 これからも
 時には自分の素敵が涙に曇って見えなくなることがあるでしょう
 隣の友達が本来の自分の姿を見失っていることに気がつくこともあるでしょう。

 そんな時には、
 君たちにはとてもすごい力が備わっていて
 周りを幸せにしたり、自分をしっかり守れるのだと言うことを
 思い出してください。

 それは、今までお付き合いさせて貰った私が
 君たちからその力を沢山貰ってきたから
 「本当のことだよ」って言えるのです。

 ありがとう
 本当にありがとう
 沢山の力をありがとう
 沢山の幸せをありがとう

  胸を張って立派な青年になった君たちに会うのを楽しみにしています。

「嬉しいね」 (2007.05.28)

 お母さんから電話がありました。
 中学校の校長先生から、「息子のことを全校生徒の前で話してみないか?」と打診されたと言うのです。
 息子は中学一年生。自閉症です。入学時にトラブルが起きて、お母さんは落ち込んでいました。「もう学校に行きたくない」と息子から切り出されたらどう対応しようかと悩んでいました。
 そんな矢先のことでした。

 一つ返事で「ありがとうございます」と言ってはみたものの「3年生になるお兄ちゃんはどんな気持だろうか?確認してからお返事すれば良かった…。」少し心配になりました。
 その日の夜に、事後承諾だけれど、お兄ちゃんと話をしました。「俺は大丈夫だよ」と言われてお母さんは気持が軽くなりました。

 校長先生が言われました。
 「その日は、事務員も全ての職員に話を聞いて貰おう」
 お母さんは、何度も何度も原稿を書き直し、短時間で伝えたいことは何だろうと一生懸命考えました。
 そして出来た原稿は  「息子はこの学校が好き・みんなと一緒にいたい」「小学校の時にみんなから沢山助けて貰ったことをMは思い出しています。忘れられない嬉しいことです」「できないことだらけだけれど・間違いが多いけど」「その時はこうするんだよ、と声をかけてくださいね」
 泣きたくなる気持をぐっとこらえて、お母さんは全校生徒と全職員の前で精一杯語りかけました。

 それから一ヶ月後、お母さんから数枚のFaxが届きました。
 その文章を読みながら、私は涙が止まらなくなりました。
 Faxは、その中学校の2年生の学年便りでした。
 そこには、中学2年生達の柔らかで実直な気持が表現されていました。
 それは、M君のお母さんがみんなの前でお話しした日の放課後に、2年生全員で書かれた感想文でした。
 指導された先生は、「お父さんやお母さんは、いつも君たちが健やかに育ってほしいと願い、学校に入れば友達と仲良く遊び、毎日笑顔で帰ってきてくれることを願っています。我が子の幸せをいつも願っているのです」と前書きに書かれています。
 生徒達は、どの子も自分のこととして受け止めていました。
・自分はM君と今まで通りに付き合えるだろう…友達だから。
・自分もうまく話すことが出来ないけれど、M君の気持ちはどうだろうかと考えるようにしたい。
・正しいことを伝えてあげられる先輩になりたいです。
・小学校でずっと一緒でした。M君は明るくて楽しい人です。障がいのことを初めて知り、少し悲しくなりました。でも、お母さんの苦しみやM君の気持ちが聞けて良かった…。今度会ったら声をかけてみたいです。

 文章を読ませて貰い
 この中学校にはきっと優しくて温かな花が沢山咲くのだろうなと思いました。
 校長先生も先生方も、M君を大事な一人の生徒として育ててくださるし、生徒達みんなは、M君を大事な仲間として共に育っていきそうです。
  嬉しい出来事でした。

2007年春・・・新学期 (2007.04)

 朝7時、塾の電話が鳴りました。
 「敏子さん…今…良い?」
 この時間にこういう話から始まるの時は、何か大変な状況になっています。
 「どうしたの?」
  電話の向こうで泣くのを必至でこらえていたお母さんは
 「何かあったんだね?」
 の私の一言で、わーっと泣き出してしまいました。

 今日の電話は、3月に数年ぶりに家族で進学の報告にやってきたM市のお母さんからです。自閉症の息子さんとは、幼児期から小学校5年生までのお付き合いでした。親子は、毎週塾迄車で往復3時間以上をかけて通ってきました。
 この子は特殊学級に在籍し、先生のきめ細やかな指導と学校の理解で、穏やかな小学校生活を送りました。卒業式では、他の6年生と共にしっかり式に参加できたとのことでした。
 「4月から中学校へ行くんだよ」「自転車で通います」「僕は頑張ります」
 あの日、Mさんは喜びと期待に胸をふくらませていました。

 喜びの入学式から数日後に、Mさんは小学校のころに顔見知りだったお兄ちゃんに、「ばーか」と一言言ってしまいました。普段はとても温厚な彼ですから、何か言われたのでしょう。
 小学校では「○○ちゃん」と呼び合っていた一歳年上のお兄ちゃんも、中学校では「○○先輩」になる世界です。たまたまやんちゃで元気の良い集団の一人だったお兄ちゃんでしたから、途端にその先輩は逆上し、数人で殴るけるの行為になってしまいました。
  Mさんのお母さんは学校からの報告を受けて、本人に状況を確認しようと思いましたが、彼は気丈にも「何でもないよ」「明日も学校に行く」と答えたそうです。
 ところが、事の一部始終を見ていた他の生徒の保護者から心配の電話が入りました。
 「骨折とかしていなかったの?」「かなり派手に殴られてたみたいよ?」……。
  我が子が何も抵抗できずに、どんな状況で殴られたり蹴られたりしたのかしら…。
 先生に訴えることもできないで、どれほど不安だっただろうか…。
 お母さんは悲しくてせつなくて、電話を切るとわーわーと泣きました。

 はぐくみ塾には、今朝の電話のような相談は常です。
 K市から来ているある自閉症の中学生は、逃げ回る本人を追いかけ回してでも、ぼこぼこになるまで殴られると言うことでした。彼は何とか学校に行くのですが、そのたびに殴られるので、とうとう不登校になってしまいました。このような状況を何とかして欲しいと訴えるお母さんに対して、学校の先生から「この学年は手がつけられないんですよね、お子さんを守りきれないので、他の学校に転校されたらいかがでしょう?」とすすめられました。
「でも、息子はこの中学校に通いたいんです。いじめにあったら転校以外にないのでしょうか?新しい環境になじむのに、また大変なエネルギーが必要になるんです……。」
  自閉症の人は無防備にも、相手の様子を見て言葉をうまく選ぶことができない人が多いのです。
 Mさんがこんな状況になる前に対処できれば良かったのですが、入学後数日めの出来事でした。思春期の不安定な中学校3年間 。希望に満ちてスタートを切ったばかりの親子に、あまりにも辛い出来事でした。

  いじめの問題は、国レベルでも真剣に考えられていることでもあり、何とか無くそうと一生懸命の人たちが増えてきました。しかし、そう言う人たちの間からも「いじめはなくならない」という言葉が聞かれます。

 では、不本意にもいじめを受けて、悲しく辛い思いをせざるを得ないこの人達は、何処で誰がどのように支援してやれるのでしょうか ?
 いじめる子たちの「弱い子に向かう怒り」は、どのように見つめて導いていけるのでしょうか?
 「いじめる側といじめられる側が抱え続ける心の痛み」
 双方に必要な支援が行き届くことを願うばかりです。

「働く」・・・その2 (2007.03)

今日も彼は水まきをせっせとやっていました。
近所で一番安いガソリンスタンドは私も常連客です。
この季節は、塾用と自宅用で灯油をまとめ買いします。

「領収書はいつものように2本・3本で切ってください」
「いくつといくつ?」
「36と54で」
「間違えるといけないからさ、書くよ」
「良い方法だね」
「ほらこうやってさ」 と手のひらに書いた数字を彼は得意げに見せるのでした。

ある日のこと、私はいつものように灯油を買いに行きました。
忙しいのでつい「置いていくのでよろしくね」とポリタン6本をさっさと車から降ろして発車しようとした時です。
彼は「置いていっちゃ駄目だ、ちゃんと持って行ってくれ!!」 と、怒ったように走って言いに来たのでした。
「あ、まずいのかしら?」と話しかけていると、上司らしき人が駆け寄ってきて「預かりますよ」と言われました

そのスタンドの前を通る度に彼のことが気になって「今日も元気でやっているかな?」「頑張ってね」と心でつぶやきます。
「自閉症スペクトラムかも知れないな?」と思われる彼は、このスタンドにかれこれ3年くらい働いています。
この出来事は、言葉を額面通りに受け取ってしまった彼のとんだ勘違いでした。 私は「お客様がいなくなった後に、お説教されてないだろうな…」と少し気がかりでした。

こういった小さな出来事から彼等の就労の継続が危なくなるのが常です。
彼はとても人なつっこいので得をしているのかも知れません。
上司や同僚が理解者なのかも知れません。
いつも黙々と灯油の入った重い缶を運び続ける彼の姿を見る度に

「どうですか?」
「仕事はおもしろいですか?」
「どうぞお客様と上手につきあえるようになってね」と心の中でつぶやいている私です。

「本当の気持ち」(2007.01)

昨日、養護学校の高等部に在籍するMさんが久しぶりに自分の手を噛んだそうです。
この人は、「自閉症」の診断を受けた、会話の出来ない人です。
とても穏やかな性格で、いつも淡々としています。
手を噛んだ原因は「先生がほかの生徒にばかり関わっているために、自分に注意を向けたくて噛んだのではないのかしら?」と担任の先生もお母さんも思いこんでいました。

Mさんは、小さな時から私の援助を受けて「筆談」をしてきました。
今日も彼女は鉛筆を握りしめて半べそ状態で私の入室を待っていました。
「今日の話はなにかしら?」
「あのね、きょうがっこうでせんせいがおこっていたの」「ふーん」
「I君のこといっぱい注意するから、やめてって言いたかったの」「そうなんだ」
「Iくんはたいへんだったの?」「うんたいへんだった」
「Mさんも大変だったねー」「うん、いえないからいやなの」
「そうだねーかなしくなるねー」「それで手を噛んだの?」「うん」

私は、ずいぶん前から自閉症やダウン症などの、表出言語をうまく使いこなせない子どもたちと「筆談援助」という形でのコミュニケーションをとっています。

「物言わぬ子どもたちの思いは、どのように受け止めてやれるのだろうか」
「言いたい気持が胸の奥に沢山沢山詰まっているのに話せないとしたら辛い」
「もし自分が同じ状況下にあったなら、心の叫びをどうやって表現できるのだろうか。」

私は呼気と吸気をうまく使いこなし、口の形を器用に作りながら「音」を作り、それを「声」として認識し、リズムをつけて高低を加え、生活環境にあった言語として習得してきました。ついでに歌も歌い、泣き声さえも自由に操ることが出来ます。
しかも、心に思い浮かぶことを匠に文章として口から放出し続けることが出来るのです。
長年連れ添ってきた言語聴覚士の資格を持つ夫よりも、ずっと流暢に話すことが出来るのです。いったいどうやって…??私は夫からも他の誰からも、そのための手ほどきを受けたことはないのに……。
子どもたちと向き合う度にこのことが自分の気持ちに引っかかっていました。

目の前で両手を口に入れながら、一生懸命話そうとして声にならない子がいる。
私の顔をじっと見つめながら、物言いたげな子がいる。
悲しそうに、ただひたすらメソメソシクシク泣くばかりで言葉にならない子がいる。
「うー」「いー・いー」とずっと同じ声ばかり出し続ける子がいる。
怒りを全身で表しながら、自分を傷つける子がいる……。
言いたいのに言えない苦しさは
私のように、とかく喋りすぎてしまうおばさんの気楽さとは、比べものにならないでしょう。
「もし」
そんな苦しさを抱え込みながら、大変な思いで生きている子が
何か方法を知って、自分を表現できるなら
「もし」
「おかあさんのことが大好きです」とお母さんに伝えることが出来たら
「もし」
「楽しいね」って誰かに言えたら
「もし」
そのことで、胸を張って生きていけるなら
「もし」
自分にそんな応援ができるようになれたら、すごくすごく幸せだろうな……。

そう考えてから十数年間、「筆談援助」でかかわった子どもたちと沢山の会話を楽しみました。子どもたちは、「小さな幸せ」を沢山沢山示してくれました。

どの子も、社会で生きていくことの大変さと不便さを沢山抱えているけれど
子どもたちのおかげで
「こんなコミュニケーションの方法も、なかなか良いよ!」
と多くの方に伝えたいと思うようになりました。

これからも、同じ思いを持って「筆談援助」に出会っている多くの仲間たちと
「幸せ探し」を続けていくことが、私の一つの願いです。

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